『永遠』作品について

o<(●´∀`)ノ゚+o。。o+゚ Happy Xmas ゚+o。。o+゚ヽ(´∀`●)>o

みなさん、いかがお過ごしでしょうか?今年はいつもと違ったクリスマスを過ごしている人が多いかと思います。私は今テレビで放映されている、風の谷のナウシカをみながら、今のコロナ禍時代と重なることがあり、宮崎駿監督は自然と共鳴する力があるのなだと、感服しています。

佐藤一郎と仲間たち展〜テーマ エロス〜のときに描いた『永遠』の作品について、思想史研究者・博士(経済学)の大島幸治さんにドキッとする、とても素敵な論評をしていただきました。自分の描く作品について、的確にまた大変色気のある言葉や文章が並べられていて、また私自身が怖くて直視していなかった部分も、言葉で示していただき、次の作品に取り組むためにとても大きなモチベーションとなっています。文章の最後の方の、・・・そう、六条の御息所のような妖気すら漂わせる情念をまだまだ扱いかねているようでもある。花を描きながら、どこか源氏物語を呟くような作品。私はこの1文がとても愛おしいです。


              『永遠』キャンバスに油彩 409mm×318mm

伊東明日香のオーラを放つ色彩

 銀座永井画廊で伊東明日香の作品を観た。共通テーマを「エロス」とする「第4回佐藤一郎とその仲間たち」展(20201023日〜116)の一作である。

 伊東明日香で特筆すべきは、その色彩の美しさであろう。青と緑を微妙に重ねながら、それが濁らず透明で、あたかも背後に光源でもあるかのように光を宿している。ブラック・オパールの輝き。赤には夕焼けの情熱、闇を迎える前の妖しい情念が漂う。彼女の色彩には、それ自体でなにか秘められた物語性がある。色自体に生命のオーラが宿っているというべきか、不思議な体温を感じるのだ。寒色の青や緑にすら、オーラと光を宿す分だけ独特の温感がある。これは彼女の天与の才能なのだろう。

 永井画廊の作品は、孔雀サボテンを描いたものである。一年に一晩だけ花開き、翌朝には萎んで落花する。両掌ほどにもある大きな赤紫色の花弁は、ガラス細工のような透明度と妖しい光を宿す。儚く失われてしまう分、その美しさに物語性と抒情性を人は読み取ってしまう。伊東が描く孔雀サボテンの不思議な色合いに、私はその前を動けなくなった。

 伊東明日香には、孔雀サボテンを血流が脈打っているような光彩を放つ赤で描き出した作品もある。灼熱の情熱に身を焦がす恋のように強烈な情念が自己主張する。切れば血が出るような赤。それは小品であったが、もし100号の大きさで対面していたら、どんなものだったろう。想像が空想を呼び、空想が妄想へと膨らみ、頭の中をグルグルと駆けめぐる。花を描いて、恋の物語を綴るユニークな作家…そう感じた。

しかし、永井画廊に展示された一作は、この孔雀サボテンを色素が受け落ちたような白と淡いピンク、青の色調でまとめたもの。それは、全身全霊で情熱を傾けたひとつの恋の別れに、萎れてうなだれる姿ではない。毅然とした佇まいを保持しながらも、生命のオーラを放っていた赤い色彩を脱落させた姿であった。花弁は一夜にして白髪になったかのような虚無感と脱力感を漂わせる。なのに花粉に膨らんだ雄蕊はそのまま立ち尽くしているかのようである。まるで「私はまだ終わらない」と歯を食いしばって頑張るかのように。

 過剰に雄弁な色彩表現を持ったこの作家は、美しい花の静物画に妖気と狂気の気配を漂わせた現代のルドンになるのかもしれない。伊東明日香自身、花に見出した狂気ともいうべき狂乱の情念、あるいは花の色彩に隠された妥協と屈服を拒む孤高な高慢さ、恋しい思いに身を焦がしながらも自分からは身を屈めて近寄ってはいけない…そう、六条の御息所のような妖気すら漂わせる情念をまだまだ扱いかねているようでもある。花を描きながら、どこか源氏物語を呟くような作品。このようなものは見たことがない。私が絵の前から動けなくなったのは、このためだろう。

たった一輪の花を描きながら、物語を雄弁に語らせる伊東明日香は、透明で光を宿した独自な色彩表現という武器によって、次にどのような一枚を見せてくれるのだろうか。

                                              大島幸治:思想史研究者、博士(経済学)

 

[ 『永遠』作品について ]作品, , 2020/12/25 23:44